#4【臨床心理士・公認心理師が解説】心理療法とカウンセリングの共通点と違い

心理療法一般
<strong>Nico</strong>
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皆さん、こんにちは。臨床心理士、公認心理師のNicoです。

Nicoの心理療法の庭へようこそ。

<strong>ぴーちゃん</strong>
ぴーちゃん

今日も一緒に心理学や心理療法について勉強しよう!

今日のテーマは、【臨床心理士・公認心理師が解説】心理療法とカウンセリングの共通点と違いです。

心の悩みについて相談ようと思って調べると、

  • 心理相談
  • 心理療法
  • カウンセリング
  • 心理カウンセリング
  • メンタルケア
  • メンタル心理カウンセリング

など、いろんな名前のものが出てきます。

しかし、利用者の立場からすると、

  • 一体どう違うのかわかりにくい、どれを選べばいいのかわかりにくい

と感じませんか?

実際、「心理~」や「~カウンセラー」と名の付く資格は、玉石混交といって良い状況にあります。

そうした用語のわかりにくさが、適切な専門家への相談を妨げているとしたら、非常に残念です。

そこで、この記事では、心理療法とカウンセリングの違いと共通点について解説します。

論者の理論や経験によって、そこに込められた意味には、微妙で複雑な違いがあります。

実際、このテーマだけで、何冊も本が書かれるほどです。

この記事も私が見聞きし、経験したことによる偏りが含まれているでしょう。

<strong>Nico</strong>
Nico

それでも、まずは理解の大枠を読者の皆さんに提示することが重要と考えますので、なるべく噛み砕いて説明できるよう頑張ります

この記事を通して、用語の共通点や違いがわかれば、巷にあふれる情報をご自身で読み解き、より適切な相談相手を見つけやすくなると思います。

結論から言えば、

  • 論者の経験や強調したいことの違いによって、呼び方が違う。
  • 「カウンセリング」ということばは、不必要な権威性を弱め、カウンセリング=心理療法の敷居を下げる役割を果たした。
  • 一方で、安易な「カウンセリング」を提供できてしまう弊害も生じた(制度の問題もあり)。
  • また、他の分野でのカウンセリング・イメージが、心理療法としてのカウンセリング・イメージにも影響を及ぼし、クライエントの不満や幻滅の要因になっている可能性もある。
  • そうしたイメージと区別し、心理職としての専門性を伝える意図もあって、「心理療法」という言い方を好む専門家も多い。

となります。

1.「カウンセリング」の呼称が広まった背景

現在の日本では、「心理療法」よりも「カウンセリング」の方が馴染みがあると感じる人が多いと思います。

元々、カウンセリング(Counseling)は、「相談」一般を表わすことばです。

それを心理療法的な意味で使うようになったのは、アメリカの心理療法家カール・ロジャーズが始めと言われます(薮添,2004)。

当時、多くの治療者が忠告・意見などを与える「指示的立場」をとっていました。

また、1926年にニューヨーク州では、精神分析を行えるのは医師のみと定められました(寺島,1996)。

そのなかでロジャーズは、

心理療法における治療者と患者の上下関係を排して平等な人間と人間のコミュニケーションによって双方の心理的成長を図る『人間中心の関わり方』を提唱し、『心理治療』(サイコセラピー)を『相談』(カウンセリング)とよんだ

藪添,2004 (英語表記はNicoが省略、またはカタカナに修正。太字もNicoによる)

といわれます。

このようなロジャーズの立場は、「非指示的療法」と呼ばれました。

ロジャーズの援助論は、

  • 自己一致(congruence)
  • 無条件の肯定的関心(unconditional positive regard)
  • 共感的理解(empathic understanding)

の3条件が、あらゆる人間関係の共通要因であるという仮説にもとづいています。

これがいわゆる「クライエント中心療法」です。

また、ロジャーズは、面接場面を録画・録音したり、教育現場で膨大な実証データを積んで、自身の理論の妥当性・有効性を示すことにもこだわりました(クスマノ,1996;村山,2004)。

そうしたロジャーズの努力は、医師ではない心理臨床家にセラピーの道を切り開いたと言われます(末武,2004)。

つまり、当時の心理療法につきまとっていた権威性や閉鎖性を崩し、より一般に広める役割と果たしたと言えるでしょう。

ロジャーズの提唱した、平等な人間同士のコミュニケーションという考え方は、第二次世界大戦後の民主教育を模索していた日本の学校教育に歓迎され、「カウンセリング」は大流行しました。

カウンセリング・マインドということばも、このころに広まったそうです。

しかし、当時の日本では、「感情の受容」や「感情の繰り返し」「承認‐再保証」といった表面的な技法論が直輸入的に導入されてしまった点に問題がありました。

この影響は今でも、「カウンセリング」=「傾聴、受容、共感」といったカウンセラー・イメージとして残っているかもしれません。

それでも、ロジャーズの理論が教育現場で大いに受け入れられたことは、日本で「カウンセリング」ということばが定着することに大きな役割を果たしたと考えられます。

またその後も、1995年に始まったスクールカウンセラー派遣事業や、教職の必修科目に「生徒指導」「教育相談」が加わったことなど、特に教育領域を通して、「カウンセリング」ということばが広く認知され、受け入れられるようになったと考えられます。

その後、専門家の間でも、ロジャーズによって主張された、治療関係を重視する姿勢は、「心理療法」全体において、当然のものとみなされるようになりました。

そのため「心理療法」と「カウンセリング」の違いは、目立たなくなっています。

2.「カウンセリング・イメージ」の問題

上で述べたように、かつてロジャーズの理論が流行し、「カウンセリング」ということばが広まったことには、当然ながらメリットとデメリットの両方があります。

メリットとしては、

  • 対人援助職全般に、来談者(クライエント)との対等性・平等性の意識をもたらした。
  • 医学教育を受けていない人でも心の援助が可能になった。
  • 「カウンセリング」ということばが一般に認知され、心理療法を受ける敷居が低くなった。

ということが挙げられます。

これについては、すでに上で触れたことで、解説は十分かと思います。

反対に、デメリットとしては、

  • 参入の間口が広がりすぎて、質の悪い「カウンセリング」が提供される恐れがある。
  • 他分野でのカウンセリング・イメージが、心理療法としてのカウンセリング・イメージにも影響し、クライエントの期待と実際とのずれを生むことがある。

ということが挙げられます。

デメリット①質の悪い「カウンセリング」が提供される恐れ

ロジャーズの理論や用語は、実は非常に奥が深いものです。

ただ、いわゆる「受容、共感、傾聴」という、ことばのわかりやすさには、副作用や弊害もあります(正確には、ロジャーズの理論の理解の浅さによる弊害かもしれませんが)。

それは、

ことばの取っつきやすさのために、十分な心理療法の訓練を経ていない人でも、安易な「受容・共感・傾聴」や、個人の価値観にもとづく「カウンセリング」をサービスとして提供できてしまう

ことです。

なかには、特に資格がなくても、深い人間理解と優れた観察眼で、質の高いカウンセリングを提供する人もいます。

しかし、利用者の立場からすると、「カウンセリング」「カウンセラー」を名乗るものが、最低限の質を担保されているのかわかりにくい状況を生んでいることも否定できません。

ここには、心理的援助を行う資格や制度の整備・規制が、国によって十分になされていないという問題も関係しています。

現在の日本では、医師や弁護士と違って、心理的援助を業務独占する資格はありません。

そして、心理的援助を謳う民間資格は乱立しており、なかには数か月の通信講座受講により、受験できてしまうものもあるようです。

そのため、利用者自身も、カウンセリングや心理療法の知識と理解を深めて、自分に合った力のある専門家を探せるようになることが重要です。

デメリット②サービスとしてのカウンセリング・イメージのずれ

既に一般に広まっている「カウンセリング」の呼称を用いることで、クライエントにとって理解や利用のハードルが下がるメリットがあることは、先に触れました。

ただ、それが裏目に出て、カウンセリングへの期待と、心理療法で提供されるものの食い違いによる不満や幻滅を招く場合があるというのも事実です。

たとえば、「カウンセリング」は、次のような心理療法以外の分野でもよく耳にされます。

  • 美容カウンセリング
  • カウンセリング化粧品
  • キャリア・カウンセリング(職業相談)
  • リーガル・カウンセリング(法律相談)

いずれも専門知識を用いて行われる相談サービスという点は共通しています。

ただ、これらの「カウンセリング」「カウンセラー」ということばには、クライエントの代わりに、最適な問題解決の手段を見つけ、教え、目的地に導いてくれるというイメージが伴っているように思われます。

その影響を受けて、心理療法としてのカウンセリングも、

  • 「~をすれば、この悩みは解決する」
  • 「そういうときは、~をすればいい」

といった解決手段を代わりに見つけ、教え、導いてくれるイメージや期待を抱かれやすいと考えられます。

こうしたカウンセリングへのイメージや期待と、実際の内容が一致しなかった場合に、

  • 「話を聞くだけで、アドバイスをくれない」
  • 「どうしたら良いのかを教えてほしくて来たのに」

という不満や幻滅が表明されるのだと思います。

もちろん実際の心理療法=カウンセリングでは、専門知識や経験に基づく助言・提案といった心理教育的アプローチも必要に応じて行います。

ただ、助言や提案といったある種の「薬」は、役にも立ちますが、毒にもなるということを心理療法家は知っています。

特に、クライエントの感じ方や、その背景を十分に踏まえない不用意なアドバイスは、却ってクライエントを傷つけ、苦しめることがあります。

ここにも「安易なカウンセリング」の危険があります。

そのため、心理療法は、害とならないよう、助言や忠告を最小限に留める傾向があります。

そして、心理療法の主眼は、

  • クライエントが自身のあり方や行動を「自分で選択する手助け」
  • あるいは、それらの候補を「一緒に探すこと」

にあります。

それによって、将来的にセラピスト/カウンセラーがいなくなっても、クライエントが自分で問題に対処できるようになることを目指します

このことは、山登りにたとえると、少しイメージしやすくなるかもしれません。

どの山もそれぞれ特徴がありますし、同じ山でも天候によって登りやすさは変わるでしょう。

そうした山を初心者が一人で登ることは、必ずしも容易ではないですし、時として命の危険も伴います。

そのため、少なくとも初心者のうちは、実際に山登りの経験をある程度積んだ人を同行者として臨むのが良いでしょう。

ただ、その同行者は、初心者を背負って目的地に連れて行ってくれるわけではないはずです。

また、同行者にとっても、その日の条件でその山を登るのは、初めてかもしれません。

同行者は、初心者の様子に合わせながら、少しだけ先を歩き、難所に差し掛かったときには、注意を促し、そこを少しでも安全に超えられるように援助します。

しかし、必要以上に、ああしろ、こうしろとは言わないはずです。

それは、

  • 初心者からの成長、体験的な発見や変化・成長の機会を奪ってしまう
  • 体験を伴わない知識は、文脈や状況が異なると、応用が利きにくい

からです。

一方で、

  • 今言わなければ危険な場合や、
  • 今の時点ではサポートが必要な場合
  • 介入した方が十分なメリットがあると判断した場合

には、同行者も迷わず介入するでしょう。

こうした同行者の姿勢は、特に初めのうちは、不親切でサービス精神に欠けるように映るかもしれません。

もちろん、知識や技量の低さのために、大切なことを伝えられない同行者ということもあり得ます。

私自身も、失敗した経験があります。

それでも、サービス精神溢れるように見える人が、実際の経験に乏しく、肝心なところで逃げ出してしまうこともあるように、一見不親切な人が、実は先々を見据えて、最低限のことだけを言うということもあるのです。

たとえが少し長くなりました。話を戻します。

「カウンセリング」ということばが広まったおかげで、心理療法のハードルは下がりましたし、不必要な権威性も弱まりました。この点を重視する専門家は、「カウンセリング」という呼び方を好むと考えられます。

一方で、他のサービス業でも「カウンセリング」は行われています。

そこでの「問題解決を代わりにしてくれる」イメージが、心理療法としての「カウンセリング」へのイメージや期待にも影響を及ぼしていると思われます。

しかし、そうしたイメージや期待と、「クライエント自らの選択を手助けするカウンセリング」とのずれは、クライエントが不満や幻滅を体験する恐れを生みます。

そうしたカウンセリング・イメージとの区別を重視して、「心理療法」という呼び方を用いる専門家も多いと考えられます。

私自身は、導入の際には「ここでは、心理療法とカウンセリングは同じものだと思ってください」と伝え、まずは「心理療法」ということばを使って説明します。

そして、クライエントが「カウンセリング」ということばを使うときは、それに合わせて私も「カウンセリング」と言います。

それによって、互いの「カウンセリング・心理療法」のイメージをすり合わせることを狙っています。

まとめ 心理療法とカウンセリングの異同

今回は、心理療法とカウンセリングの共通点と違いについて、以下の内容をお伝えしました。

  • 「相談」一般を表わす「カウンセリング」の方が、「心理療法」よりも広いが、論者の経験や強調したいことの違いによって、呼び方が違う。
  • ロジャーズが用いた「カウンセリング」ということばは、不必要な権威性を弱め、日本でカウンセリング=心理療法を広げ、敷居を下げる役割を果たした。
  • 一方、「受容・共感・傾聴」の取っつきやすさの弊害として、日本では、十分な心理療法の訓練を経ていない人でも「安易なカウンセリング」を提供できてしまう状況にある(制度の問題もあり)。
  • 「問題を代わりに解決してくれる」他の分野でのカウンセリング・イメージが、心理療法としてのカウンセリング・イメージにも影響を及ぼし、クライエントの期待と現実のずれ、不満や幻滅のもとになっている可能性がある。
  • クライエントとの平等性・対等性や、敷居の低さを重視する場合に、カウンセリングという呼び方を好む人が多いと考えられる。
  • 安易な「受容・共感・傾聴」を避け、クライエントが自分で選択する手伝いを重視する場合に、心理療法という言い方を好む人が多いと考えられる。

心理職は、人々の心の健康や時として命に関わる仕事ですので、国家レベルでその質を担保する十分な法律や制度が整備できていることが望ましいでしょう。

ただ現状では、まだまだその途上段階にあると言えます。

そのため、利用者自身も積極的に、カウンセリングや心理療法の知識と理解を身に着けて、自分に合った力のある専門家を探せるようになることも大切でしょう。

同時に、それらの情報を整理し、発信していくことは、私たち心理療法=カウンセリングの専門家の仕事だと思います。

<strong>Nico</strong>
Nico

私自身も、もっと勉強し、経験を積んで、

皆さんの役に立つ情報を発信したいと思います。

というわけで、これからも一緒に心理学や心理療法=カウンセリングのことを学んでいきましょう。

<strong>ぴーちゃん</strong>
ぴーちゃん

それでは、今日もありがとうございました!

引用・参考文献
  • クスマノ・ジェリー(1996)ロジャース.福島 章(編)精神分析の知.新書館,198‐201.
  • 村山正治(2004)カウンセリングと教育.氏原 寛・亀口憲治・成田善弘・東山紘久・山中康裕(共編)心理臨床大事典[改訂版].培風館,1179‐1183.
  • 信田さよ子(2014)カウンセラーは何を見ているか.医学書院.
  • 末武康弘(2004)ロジャーズ‐ジェンドリンの現象学的心理学.氏原 寛・亀口憲治・成田善弘・東山紘久・山中康裕(共編)心理臨床大事典[改訂版].培風館,131‐135.
  • 寺島美帆(1996)A・フロイト.福島 章(編)精神分析の知.新書館,119‐120.
  • 薮添隆一(2004)「学校カウンセリング」.氏原 寛・亀口憲治・成田善弘・東山紘久・山中康裕(共編)心理臨床大事典[改訂版].培風館,1170-1171.
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